アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあります。
世界遺産の象徴的な遺跡です。
砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿です。
大神殿と小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている(小神殿は王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。
ラムセス2世(Ramesses II、紀元前1303年頃 – 紀元前1213年頃)
この神殿の大きな特徴は
新暦の10月22日と2月22日の年に2回、太陽の光が神殿内部を通過し、神殿の壁と奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を照らすように設計されていることです。
沖縄のテダ御川とアブシンベル神殿との距離約5900KM
光の照射
アブ・シンベル神殿 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
光の照射[編集]
この神殿では、10月22日と2月22日の年に2回、
太陽の光が神殿内部を通過し、神殿の壁と奥の4体の像のうち、
冥界神であるプタハを除いた3体を照らすように設計されたと考えられている。
この二つの日はそれぞれ王の誕生日と即位の日であると言われているが、
それを裏付ける直接的証拠はない。
しかし、これらの現象は特定の重要なイベント、
シリウスのヒライアカル・ライジングと発見された碑文に基づいた計算によると、
この日付は確かに10月22日であった可能性がある。
地球の地軸の歳差運動のため、北回帰線におけるずれが蓄積し、
この通過する日時は神殿が建てられた3000年前より大幅にずれている。
この程度は、神殿がもとあった場所から移動されたため悪化している[2]。
沖縄県にあるテダ御川にも同じ現象が起きる。
https://www.kankou-nanjo.okinawa>tokusyu>view>agariumai_jyunrei東御廻り(あがりうまーい)聖地巡礼一覧 | らしいね南城市
(6)テダ御川
東御廻り(あがりうまーい)聖地巡礼の一か所
太陽神が降臨した霊泉といわれている。
国王や聞得大君が久高島参詣のときには、祝女(ノロ)たちが航海安全を祈願してオモロを謡い祈った。
テダとは太陽を意味する言葉で、太陽神がここに降臨したと伝えられている。
その昔、国王や聞得大君が久高島を参拝するときには、無事に船が航海できるようにと祝女(ノロ)たちがオモロ(奄美・琉球に伝わる古い歌謡)を謡い、航路安全を祈願したのだとか。
ここへは知念崎(ちねんさき)の灯台を過ぎ、坂を下っていくと辿り着くが、テダ御川と記された石碑と説明板がなければ、かつては井泉であったことを想像するのはむずかしい。
説明文によれば、昭和8年頃に背後の知名(ちな)グスクから採石したことが原因で、清水が枯れたという。
しかし、目の前に真っ青な海が広がり、ほぼ真東の方向に久高島が見えるのは神聖な光景そのもの。
東御廻りの聖地として、いまでも人々から崇(あが)められている。
テダ御川がある場所
ただ石碑が置かれているだけです.
テダ御川がアブシンベル神殿の光射と同じ現象が起きる証明
日の出日の入りマップでテダ御川に来る2月22日と10月22日の太陽線を見てみましょう
ここで 重要なことは 太陽線の基点を久米島の宇江城城跡に置くことです。
その基点は他の証明でも動かすことはない。
青線はテダ御川の方角
赤線は2月22日の時の太陽線
黄線は夏至、冬至線
実際は2月22日の太陽線はテダ御川よりちょっとずれている(24時間以内)
下図;10月22日の太陽線もテダ御川より2日ほどずれている
テダ御川に太陽線を合わせて見ると
2月の太陽線は23日にはテダ御川の上に行くので2月22日で間違いない
太陽線は10月20日にテダ御川に最接近する。2日間ずれている。
光の照射での説明によると
地球の地軸の歳差運動のため、北回帰線におけるずれ?と説明されている。
なぜ久米島の宇江城城跡に太陽線の基点を置いたか
宇江城城跡は久米島で一番高い標高310mの宇江城岳(うえぐすくだけ)の山頂にあり、沖縄県内で最も高い位置に築かれたグスクとされています。
今回のテダ御川とアブシンベル神殿の太陽線だけのために そこに基点を置いたわけではなく 他の証明のために宇江城城跡は基点となる必要な場所です。
ダビデの星とこの太陽線を組み合わせることで世界中の神々の仕組みが分かります。
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